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大阪あそ歩’09秋  実施レポート
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四天王寺能ウォーク〜「弱法師」主人公・俊徳丸の足跡を尋ねて

 ●実施日…2009年10月10日

 ●参加人数…16名  

 ●コース 四天王寺→(俊徳街道)→摂津国分寺跡碑・熊野大神宮旧跡→御勝山古墳→俊徳地蔵→俊徳橋

 ●イラストマップ

 ●取り上げた題材 「弱法師」「難波」

「大阪あそ歩09秋」のプレイベントとして実施されましたが、同時に、11月3日に八尾で開催された「しおんじやま芝能」の予告も兼ねていました。
案内役の能楽師は、”しおんじやま”でも演じられた山中雅志さん。
八尾・高安を出自とする俊徳丸親子ですが、謡曲「弱法師」の舞台は四天王寺西門。山中さんからは日想観の思想も交えながら、
四天王寺境内における親子の再会の名場面を再現していただきました。

「弱法師」の舞台となる四天王寺西門石舞台と六時堂四天王寺境内にある熊野遥拝石

後半は四天王寺を出て、俊徳丸が通ったといわれる俊徳街道を生野区・大池橋まで歩きました。
街道沿いに点在する俊徳丸ゆかりの史跡や町並みを辿り、御勝山古墳では全員で「弱法師」のラストの部分を謡いました。
熊野大神宮の碑西俊徳地蔵御勝山古墳での謡

〈弱法師〉

河内の高安に住む高安通俊は、人の告げ口でわが子の俊徳丸を追い出したが、それを後悔して、ある年の二月、功徳のため天王寺で七日間の施しを行った。
彼岸の中日、その施行の場に弱法師と呼ばれている盲目の青年が来て施しを受ける。弱法師は乞食の身ながら、梅の匂いに気持ちを通わす清純な心の持ち主で、天王寺の縁起を説く曲舞を語って聞かせる。
弱法師が俊徳丸であることに気付いた通俊だったが、人目をはばかり、夜になって名乗り出る事にする。
弱法師は入日の方角の西方極楽浄土を拝み、難波の浦の美しい景色の数々を心眼に受け止めて悟りきった様子だが、盲目の悲しさに時に物狂おしい態も見せるのだった。
日が暮れ、一人たたずむ彼に父の通俊が話しかける。話しかけられた俊徳丸は我が身を恥じ、逃げてゆくが、通俊はそれに追い付き、彼を家へと連れて帰るのだった。

〈俊徳丸伝説〉

俊徳丸は四天王寺の聖霊会で稚児舞楽を演じることとなった。この舞楽を見た隣村の蔭山長者の娘は俊徳丸に一目惚れし、二人は恋に落ち将来を誓う仲となった。 しかし俊徳丸は我が子を信吉長者の跡継ぎにしたいと願う継母から呪いをかけられ、失明させられてしまったうえ病気になり家から追い出されてしまった。俊徳丸は何とか四天王寺に行き着きつくものの物乞いする状態にまで成り果てた。この話を聞いた蔭山長者の娘は俊徳丸を探しだして再会した。二人が観音に病気治癒の祈願したところ、俊徳丸の病気は治り、その後二人は夫婦となって蔭山長者の家で幸福な人生を送ったという。

亀井堂野沢菜を辿る旅に出発する長野県野沢村村長東俊徳地蔵



能楽師と行くなにわめぐり〜阿倍野の巻

 ●実施日…2009年10月31日

 ●参加人数…16名  

 ●コース 松虫塚→(熊野街道)→安倍晴明神社→阿倍王子神社→伝北畠顕家墓→小町塚・播磨塚→岸の五本松→阿部野神社

 ●イラストマップ

 ●取り上げた題材 「松虫」「鉄輪」「巻絹」「楠露」「卒都婆小町」「高砂」

四天王寺と住吉大社という、大阪を代表する2大寺社に挟まれた街道筋として歩んできた阿倍野。
近代になるまでは阿倍野ヶ原とも称される一面の野原でした。

今回は若手女流能楽師として頭角を表しつつある観世流の山下麻乃さん。
山下さんと共に、熊野街道沿いに阿倍野の町を縦断しました。

夏の暑さを思わせる快晴の一日。日差しがきついです。
レトロな情感漂う阪堺電車の松虫駅を出発し松虫塚へ向かいました。松虫塚

松虫の名が示すように、この辺りは一面松虫が鳴く薄野だったそうですが、今や聞こえるのは自動車の音ばかり。
車の音を松虫の声と聞き代えて聞いてくださいと、山下さんが「松虫」の一節を謡いました。

安倍晴明神社は陰陽師・安倍晴明の誕生地の伝説があります。ピークは過ぎましたが、晴明ブームは健在です。
直接阿倍野とは関係ありませんが、謡曲「鉄輪」には、丑の刻まいりの呪いを阻止する晴明の活躍が描かれています。
鉄輪とは火鉢の中に置いた五徳のことで、これを逆さに頭に付け、蝋燭を刺して五寸釘を藁人形に打ち付ける姿はご存知のことと思います。

安倍晴明神社山下麻乃さん

阿倍王子神社はかつての熊野王子のひとつ。大阪市内で現存する王子社はここだけです。
熊野信仰については能でも度々取り上げられ、古代〜中世においてはいかに熊野の神が権威ある存在であったかを知る手がかりとなります。
ここでは山下さんが「巻絹」を謡いました。

ルートは現代の阿倍野区の幹線道路である阿倍野筋に代わり、北畠公園、小町塚・播磨塚と続きます。

北畠公園には伝・北畠顕家の墓があります。北畠顕家は南北朝時代の南朝の公家・武将。
後の後村上天皇を奉じて東北各地を転戦した後、若干21歳で戦死しています。
その最期の地が太平記によると阿倍野となっていて、北畠の地名が現代に残っています。

北畠顕家が出てくる能はありませんが、楠正成は「楠露」という作品に出てきます。有名な桜井の別れを扱ったものです。
但し、この謡曲は現在上演されることは全くといっていいほどない不人気曲で、山下さんも演じたことはないそうです。
やはり題材が難しいのでしょうか。

この公園での休憩に、阿部野銘菓の”なにわことばせんべい”を試食しました。

小町塚は播磨塚と並んで路地の奥の民家の前にあります。
初めてこの辺りを訪れた人は中々この場所を見つけるのは難しいでしょうね。
小野小町と阿倍野というのも奇妙な取り合わせですが、なぜか「卒都婆小町」の舞台は阿倍野で、
この地で小町が亡くなったという伝承もあるようです。
民家すれすれの場所での謡は、住んでおられる方が何事かと覗き込んでおられました。

小町塚と播磨塚

阿倍野筋から再び熊野街道を横切って阿倍野神社へ。
途中、住吉高校のグラウンド脇に生える4本の松には”岸の五本松”の説明版が掲げられていました。
これは万葉集にも歌われた”岸の姫松”の名残だそうです。勿論、ここで謡うのは「高砂」。
夫婦睦まじい相生の松を語った内容であることは結婚式の定番ともなっています。

終着点の阿部野神社は北畠顕家とその父親の北畠親房を祀った神社です。
ここの会館をお借りして、山下さんが面の解説と仕舞を披露しました。演じた曲目は「鉄輪」です。

阿倍野神社での仕舞

普段のまち歩きとは違って、能楽ファンが参加してくれたのもこの企画の特色でした。
遠くはなんと東京からこのために参加された方もいて、熱心なファンの存在に頭の下がる思いでした。

 

能楽師と行くなにわめぐり〜住吉の巻

 ●実施日…2009年11月7日

 ●参加人数…20名  

 ●コース 住吉公園(源氏物語の碑、芭蕉句碑、高燈籠)→住吉大社(反橋、本殿、大海神社、はったつまいり)→すみよし村ぎゃらりー

 ●イラストマップ

 ●取り上げた題材 「住吉詣」「白楽天」「雨月」「高砂」「玉井」(「富士太鼓」「梅枝」)

能ウォークの最後を飾るのは住吉さん。
海の神様であると共に歌の神様でもありました。つまり文芸とも深い関わりがあり、能の題材にも数多く取り上げられてきました。

今回の案内役の能楽師も山下麻乃さん。今回も好天です。

源氏物語の碑

まずは南海住吉大社駅を挟んで西側の住吉公園から。
源氏物語の碑を訪ねます。澪標の巻の、住吉詣における光源氏と明石の上との再会を描いたレリーフの前で、
山下さんが謡曲「住吉詣」を解説し、謡います。
常に周囲を駐輪自転車で埋め尽くされている碑ですが、突然始まった謡には買物のおばさん方もびっくりした様子でした。

 

松尾芭蕉の句碑の前では「白楽天」の解説を、公園の西側、道路を隔てた高燈籠の前では「雨月」の謡を披露され、
中世には住吉の神がどれだけ厚く信仰されていたのかを知ることができました。

芭蕉句碑の前にて高燈籠の前で「雨月」の解説

コースは東に方向を変え、住吉大社へ。
七五三のシーズンで、またこの日は月に一度のはったつまいりの日でもありましたので、境内は朝から参拝客でごった返していました。
結婚式も何組か挙行され、新郎新婦の行列もあちこちで見られました。

反橋(工事中)角が四角い住吉鳥居

2年後の後鎮座1800年祭を控えて、住吉さんでは各社、名所の修復工事が進められています。
名物の反橋(太鼓橋)もご覧の通り。12月まで通行できません。

そんな中、本殿の前でツアー一同は山下さんの指導の下、「高砂」の一節を謡いました。
おなじみの「高砂や〜この浦舟に帆を上げて〜」の部分です。
ここでも何事かと、周囲の注目を浴びましたが、この日住吉さんで挙式のカップルには思わぬご祝儀だったのではないでしょうか。

住吉大社社殿前にて全員で高砂を謡う

休憩中に住吉名物の喜久寿のどら焼を紹介し、試食しましたが、皮の柔らかさがすこぶる評判でした。

知る人ぞ知る、住吉さんの隠れスポット大海神社では謡曲「玉井」のお話。
ここには山幸彦(ホホデノミコト)が海神から贈られたという塩満玉(しおみつだま=海の水を満潮にする)を沈めたという
玉ノ井という井戸があります。
こういう場所があるなんて、地元以外の人には新しい発見だったのでしょう。

かなり時間も押してきましたので、はったつまいりの三社めぐりと「富士太鼓」「梅枝」の石舞台は終了後のオプションとして、
大社東側の住吉街道沿いにあるすみよし村ぎゃらりーへ移動。
ここで山下さんから面の解説と「高砂」の仕舞が披露されました。

すみよし村ぎゃらりーで仕舞

参加者は各々面を手に取ったり、架けてみて視界を試したりしていました。

終了後は時間的余裕のある希望者で、石舞台とはったつまいりの浅沢社、大歳社を訪ねました。
大歳社では、住吉大社禰宜の小出さんが住吉さんにまつわる小ネタを話してくれ、これもまたとない機会でした。

大歳社で記念撮影


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